ドイツ仕入れ後に感じた事
私事ですが、先月ドイツのアンビエンテという
世界最大級のギフトショーにて、商品の仕入れをしてきました。
2社と交渉がうまくいき、そのうち1社と「独占販売権」獲得に向け
交渉を続けています。
日本に帰ってきて
ドイツでの濃厚な時間の余韻を感じつつも、
通常のお仕事が始まっています。
その「高揚と日常の合間」にて、
心がけたい大切なことを感じておりますので、
本日は私の胸中と、
そこからの気づきについて、
皆さまにご共有させていただければと思います。
【「燃え上がる」と「燃え尽きる」はセットでやってくる。だから、、、】
■ドイツから戻ってきて、
1ヵ月ほど経ちました。
ありがたいことに、
「外国仕入れとかすごい」
「よく一人でいけるね」
「おかえりなさい」
みたいな大変温かい言葉を頂き、
ドイツの旅路の余韻を、胸中に感じております。
「高揚感の残り香」みたいな、
なんとも言えないもの。
■この「高揚感の残り香」。
今、注意が必要だな、と思っています。
というのも、言ってしまえば、
おわかりの通り、
「5日間ドイツに行ったからといって、
何かが劇的に変わるはずもない」
わけです。
これは一種のチャレンジのシンボルのようなもの。
山に登ったら、一旦それは終了なのです。
■もちろん、このことにより
短い時間で「内的な世界観」は変わります。
「パラダイム(ものの見方)」は変わることは、
実に大きい変化だから、祝福したいです。
私も、
「なんか外国の人と話をするの、
結構いけるかも!」とか、
「わからなくても、それに動じなくなれたかも!」とか、
「英語、もっと勉強しようって思えた!」
と、視点が変わった感は
未だに感じていて、嬉しく思っています。
■しかし、同時に、
これまた当たり前の話ですが、
・「パラダイム(ものの見方)」の変化のあとに、
・日常生活において、これまでと違う行動を
粛々と積み重ね続けるからこそ、
・初めて、これまでと違う結果が手に入る、
わけであって、
「ああ、なんかめっちゃ変わった気がするー」
とかいって、気を抜いて怠けていたら、
ただ「やった気になっただけ」で、
結局、現実は変わりません。
思い出づくりとしてはいいかも知れませんが、
別に遊びでいったわけでもないし、
そのことで誰かに貢献してこそ、
自分も周りも初めてハッピー、と言えると思うし、
ただいい経験した、では
勿体なさすぎます。
■一つのイベントとは、
バンジージャンプのようなもの。
もちろん、それはそれで勇気がいるのですが、
それを元にして、
・「もっと自然に、一生懸命勉強できる」とか、
・「ドキドキしていても新しいことに躊躇なく踏み出せる」という
日常の変化につなげることがやっぱり大事だなと思いますし、
私はそう言いたいな、と思います。
なんだかんだ偉そうに言いつつも、
「燃え上がった」後には、その高揚感ゆえ、
『「燃え尽きた感」または
「下火感」がセットで起こる』
という現象が、(大変残念ながら)、
起きていると感じているのです。
まだまだ弱い!
■ただ、思えばこれまでもそうでした。
高校野球の夏の大会一回戦負けした時もそうだし、
仕事上のチャレンジもそう。
(そして今回のドイツ仕入れもそう)
チャレンジした。
燃え上がった。
ただ、その後には、
燃え上がった炎の反動のように、
弱くなってしまう時期がありました。
■せっかくロイター板を踏んで、
華麗に「跳び箱」を飛び越えたはずが、
着地に失敗して、足首ひねって、
しばらく立ち上がれない、、、
みたいなことになりがちなのです。
本当は、
そのまま二段ジャンプのように、
次々と飛んでいきたいのに。
■では、どうすればよいか。
これは一つしかない、と思います。
『過去は忘れる』。
こと。
月並みですが、これしかないな、と。
もう、ドイツは昔の話。
(実際そうだし)
大したことはなかった。
(楽しかったけど!)
さて、次の目の前に迫ってくることを、
粛々とやっていこう。
と思うことでしょう。
■もうちょっとアクショナブルな行動で言えば、
『次の目標を立てる』
ことでしょう。
まだ何も変わったわけではない、
と思って、また次に迫っている成すべきことを、
粛々と行っていく。
このことが大事なのだろう、と思います。
ということも思っており、
英語の勉強を忘れないうちに、
積み重ねていこう、そう思っております。