【『7つの習慣』~「刺激と反応の間」ってなんだ?(第一の習慣)~】
【『7つの習慣』~「刺激と反応の間」ってなんだ?(第一の習慣)~】
それでは、どうぞ。
■皆さまは、こういった光景、
今まで見たことはありませんでしょうか?
例えば、ファミレスなどで
「マジ、ありえないよね
あんな風に言われたらキレて当然だよね」
「わかるわかるー」
というような会話。
「腹が立つ事言われた」
=「怒って当然」
という公式が、前提として
あるようにも思えます
■あるいはこんなシーン。
満員電車で
足を踏まれたか何かで、
ものすごい怒りまくっている
どこぞやのおじさん。
人前にもはばからず激高し、
朝から、電車内で怒鳴っている。
「オイ!お前わざと踏んだだろう!!」
と、自分の感情を抑えられない、
みたいな場面。
(ああ、実にイタいですよね、、、)
■そして私は、
この両者に対して言いたい。
「これこれ、そこのお二方。
まず、7つの習慣の第一の習慣
『刺激と反応の間』の話を、
一度読んでみてはいかがかね」
、、、と。
■さて、今日のテーマですが、
「第一の習慣 主体的である」に
いの一番に書かれている項目。
【刺激と反応の間】
のお話をお伝えしたいと思います。
■さて、突然ですが
皆さまにご質問です。
「Q,「主体的」の反対語はなんでしょうか?」
、、、
、、、
はい、答えはなんでしょうか?
「受動的」?
普通に考えると、
そうですよね。
■ただ、「7つの習慣」において。
「主体的」の反対の言葉とは、
”『反応的』である“
としています。
■“反応的である“とは何でしょう?
それは、
『◯◯だから、自分は●●である』
という世界観を持つことです。
、、、ちょっとわかりづらいですね。
例えば、先程の女性の世界観なら
「{腹立つことを言われた}から、
{自分は当然怒った}のである」
となりますし、
足踏まれて激高おじさんの世界観は
「{足を踏まれた}から、
{自分は当然怒った}のである」
となります。
実際はどうかわかりませんが、
まあ、当たらずしも遠からずのはず。
■この状態は、
「刺激 即 反応」ともいわれ
「刺激と反応の間にスペースがない」
状態といえます。
主体的な状態の逆、
まさしく「反応的な状態」です。
されたことに対して(刺激)
ただ感情を発露させているだけ。
それは、平たく言えば
精神の育っていない、子供のようなもの。
・子供がお菓子を買ってもらえない。
↓
・自分の思い通りにならない、
自分の感情を抑えられない。
↓
・周りにどう思われるか、など関係なく
感情を爆発させる。そして泣く、叫ぶ。
という構造です。
自分の感情をコントロールできない。
外部の刺激に対して、自分の気持ちを選択できず、
依存的になっています。
先の電車の大人げないおじさんも、
気持ちの構造は同じ。
「足踏まれたら(刺激)、
怒って当然でしょ(即反応)」
これでは、よろしくありません。
自分の望むものを手に入れる成功なぞ、
望めるはずもない。
■コヴィー博士は、
「主体的な状態」の1つの定義を、
『刺激と反応の間に”スペースをあける”』
ことができていること、と言います。
これが、第一の条件だ!と。
成功に向けての一丁目一番地。
これがなくては何も始まらない。
つまり、
「外部の環境・状況に関わらず、
”自分が選択できる”という世界観を持つこと」
これがまさに”主体的”である、
というのです。
・他の誰かに嫌味を言われて、
(冒頭の女性よろしく)
・あるいは電車で足を踏まれて、
(満員電車の足踏まれたおじさんよろしく)
「こんな事されたから、怒って当然」
というのは、
その人が持つ自身の
”選択の自由”を全く使っていない、
むしろその力があることを気づいてさえいない、
となるのでしょう。
■ですが、人は、
たとえどんな状況でも、
自分の感情の色を決めることができる。
■さてでは、どうずれば、
この「刺激と反応の間にスペースを持つ」
ことができるのでしょうか?
反応的にならず、
主体的になるためには
どうすればよいのでしょうか?
フランクル氏の話は、
流石にちょっとできる気がしない?
はい、わかります。わかります。
そんな時に、コヴィー博士は
”『人間だけが持つ4つの力』があると発見した”
その4つの力を使えばよい、
と本書で語ります。
それが1つのヒントになるかと。
その4つの力とは以下の通りです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1,自覚・・・自分自身を客観的に見つめる能力
2,想像・・・現実を超えた状況を頭の中に生み出す能力
3,良心・・・善悪を区別し、自分がどうありたいか判断する力
4,意志・・・他のさまざまな影響に関係せず、行動する能力
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
です。
つまり、先程の
「満員電車の足を踏まれた」に
当てはめて”主体的に”考えてみると、
{足を踏まれた!イラッ!!}(=刺激)
↓
1,自覚
「足を踏まれた、そして周りに人がいる。
そして、今自分は猛烈に腹がたった。怒鳴りたい自分がいる」
2,想像
「怒鳴ったら、周りから注目される
相手と言い合い、ケンカになるかもしれない
キャリアに影響がでるかも」
3,良心
「怒り散らすような子供じみた行為は
本当は良くないと分かっている」
4,意志
「腹が立っているが、なんとかグッとこらえて、
相手の目に訴えかけるだけにしよう。
あるいは、冷静に「足、気をつけてください」と言おう」
↓
{足、踏んでいますよ(努めて冷静に言う)}(=反応)
とできます。
そして、これらは
犬や猿、他の動物は持っていません。
■『刺激と反応の間』。
これを自覚して、スペースを開けるのは
精神的な筋力のようなものです。
鍛えることができるのです。
確かに、人ですから
腹が立ちます。
イラッとすることも、あるでしょう。
ただ、上記の「4つの力」に対して
自覚的になって行動することで、
「適切な反応」を少しずつ選べるようになればいいのです。
■そして、
『自分には選択する自由がある』
という世界に立って初めて、
7つの習慣でこれから語る大切なことも、
”自分が選択してできるようになる”のです。
だから、第一の習慣の
一番最初に、この
【刺激と反応の間には、選択の自由がある】
という話を、コヴィー博士は
語っているのでした
では、この選択の自由を手に入れ、
あなたは何を選び、どう行動するのか?
それが「第一の習慣 主体的である」の後半、
『影響の輪にフォーカスする』
へと続いていきます。
ということで、本日はここまでとします。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
<今日のまとめ>
・「第一の習慣 主体的である」において、
主体的の反対の言葉は、反応的である、という。
・主体的な人は、
『刺激と反応の間にスペースをあける」ことができ、
行動を選択をする自由を持っている。
・刺激と反応の間にスペースを開けるためには、
人間だけが持つ4つの力を意識することである。
・それは、「自覚」「想像」「良心」「意志」の4つ。
これらは精神的な筋力のようなもので、鍛えることができる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~