個人で生きる為のブログ

日々の学びを気ままにアウトプット。

悩んでしまう理由

『リーダーシップと出会う瞬間』

という書籍を読み
 
その中で、印象的かつ、
多くの人が陥りがちな罠である
 
「あれこれ悩んでしまう」
 
ということについて、
面白い話が書かれていました。
 
その比喩の「自分劇場」という話が
参考になるなと思いましたので、皆さまに
ご共有させていただければと思います。
 
  
【”壮大な「自分劇場」を創造し、

 勝手に凹むという寸劇”が「悩み」】
 
 
 
それでは、どうぞ。
 
 
 
 
■悩み。
 
人生の中の
大きな命題の一つですね。
 
 
悩みには色々なものがありますが、
その中心的なものは、
 
「周りにどう思われるだろうか?」
 
と過剰に心配してしまう

というやつではないかと。
 
これは頻出の「悩み」のケースの

ように思います。
 
そして、皆さまにも、
思い当たることあるのではないでしょうか?
 
 
 
■はい、私はあります。
 
例えば、ごく最近の私。
(というか一昨日の話)
 
「こんなことしたら
 こんな風に思われるんじゃなかろうか?」
 
を過剰に心配したパターンだと、
 
 
「自分がYouTubeなんてやったら
 周りの人が”イタいヤツ”とか
 思われないだろうか」
 
とか、
 
「自分が面白いと思った鉄板ネタを話したら
 同業の人から、何ネタを勝手に
 流出させてるんだ、と思われないだろうか」
 
とか、
 
「ああ、こんな話、堂々として
 この人のレベルはこんなものか」
 
みたいに思われるんじゃないか、
いやだなあ、どうしようかなあ、
 
 
みたいな悶々とウロウロする、
という心配がありました。
 
 
 
■、、、がお気づきの通り、読まれている皆さまからすると、
 
(私のYouTubeなんて)「まるでどうでもいい話」
 
なわけです(笑)
 
 
これは卑屈になっているというのではなく、
現実、そうである、という話をしています。
 
そもそも人は、当たり前ですが
 
 
「自分の人生が一番重要であり、
 誰かの失敗や成功など、
 (実は全くというほど)気にしていない」
 
 
のが”普通”なのです。
 
 
■例えば、皆さまにとっても
「人生の一大イベント」みたいなこと、
あると思います。
 
それは、
 
結婚、出産、
離婚、再婚
転職、営業成績が達成したorしない
出世したorしない
失業したorしない
 
など、自分にとって
物凄く重要なこと、あると思います。
 
 
ただ、それらのことは
 
身近な人や直接利害がある人であればまだしも、
(その場合、「自分のこと」になりますので)
 
周りの多くの直接利害がない人にとっては
誰かの重要な人生の一大イベントも
 
日常のワンシーンの中の、更にワンシーンでしかなく
 
車窓から見える田園風景のように、
あっという間に通り過ぎていってしまうもの、
 
それが現実です。
 
 
■とすると。
 
一言で何が言えるかと言うと、
 
「誰も自分のことなど気にしていない」(!)
 
ということであり
 
同時に
 
『自分のことは基本、
 自意識過剰気味になるもの』
 
ということでしょう。
 
 
 
このことを前提に、
 
「あれこれ思い悩む」
 
という行為を考えてみたら
いかがでしょうか?
 
■それがYouTubeだろうが、
転職だろうが、その他のあれこれ始める際に、
 
 
「これをしたら、久貝さんは、
 これこれ思うのではないだろうか?」
 
「伊志嶺さんは、ちょっと否定的で、
 ネガティブなコメントを言いそうだ」
 
「仲田さんは、いつも前向きだから
 応援してくれそうだ」
 
「池間さんは、あれこれおせっかいを焼いて
 アドバイスをしてきそうかも」
 
、、、一旦CM

(実際の池間さんは、アドバイスなどしません。伊志嶺さんも前向きでカレー屋です。久貝さんはゴリラキャンプというアカウントを作ってます。仲田さんはお洒落なカフェをしてます。)
 

【ゴリラキャンプ】

https://instagram.com/gorillacamp1110?igshid=1827taw4pphy7

【BUTASUNcurry】

https://instagram.com/butasun.miyakojima?igshid=1bxdo72je7xu9

【WADERFULLLIFE】

https://instagram.com/wonderfullife0707?igshid=1tkuzpy740qcd

 


と、頭の中で、
誰がどんな事を思うだろうか
誰がどんな発言をするだろうか
賛成か、反対か、
 
など考えて、
 
ああでもないこうでもないと
思い悩んだととしても、
 
実際「その人」にとっては
(上記で言えば、久貝さん、伊志嶺さん、仲田さん、池間さん)
にとっては実は大したことではないのです。
 
 
 
■すると、その一連の”悩み”とは、
 
 
【自分の頭の中の壮大な「自分劇場」』の中で
 勝手に想像を拡げて、凹む、悩んでいるだけ】
 
 
となっている可能性も、十分にあるのだろう、
 
と思うわけです。
 
 
 
■「取り越し苦労」という言葉があります。
 
その言葉の意味は、
 
”どうなるのか自分ではわからない将来のことを
 あれこれ考えて、無駄な心配をすること”
 
と説明されています。
 
ポイントは「無駄な心配」なのです。
 
そして基本、起こってないことを
あれこれ想像して悩みすぎるのは
 
かつそれを自分劇場の中で
ルーペのように他者の気持ちを大きく見積もり、
拡大してみてしまうのは、
 
「無駄な心配」
 
となっている可能性がありそうです。
 
 
 
■ゆえに、ある程度考えて、
 
しかしそれ以上前に進まない、
同じことをループしているだけ
 
と感じたのであれば、
 
それは
 
 
【”壮大な「自分劇場」の上で勝手に凹むという寸劇”】
 
 
をしているのかもしれない、
 
と、自らに問い自覚してみることが、
「無駄な心配」「余計な悩み」をストップする上で、
大切なことではなかろうか、
 
そのように思った次第です。
 
 
 
起こっていないことは考えない。
やってみなけりゃわからない。
まず行動、ですね。
 
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
本日も皆さまにとって、素晴らしい1日となりますように。
 
 
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<本日の名言>
 
悲観主義者はあらゆる機会の中に問題を見いだす。
楽観主義者はあらゆる問題の中に機会を見いだす。
 
ウィストンチャーチル(イギリスの政治家・作家/1874-1965)
 
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