個人で生きる為のブログ

日々の学びを気ままにアウトプット。

信頼の作り方

信頼とは、、、、

信頼は日々の積み重ねであり、積み重ねるのには時間がかかるが

信頼を無くす時は一気になくなる。

それを銀行口座に例えた話しがありましたので紹介します。

 

【信頼口座の残高を増やす6つの預け入れ】

  

<1,相手を理解する>

 

… 最も重要な預け入れで、他のすべての預け入れの鍵となります。

相手の関心やニーズを知らねば、適切な預け入れもできません。

 

 

<2,小さなことを気遣う>

 

… ちょっとした親切や気配りが大切。

人間関係では、小さなことが大きな意味を持ちます。

 

 

<3,約束を守る>

 

… 相手にとって大切なことを約束しておきながら、それを守らないことほど信頼を裏切る行為はありません。

次に約束しても、信じてもらえなくなります。

 

 

<4,期待を明確にする>

 

… 役割や目標に対して期待することが曖昧だったり、認識が食い違っていると、たいてい人間関係に支障をきたします。

 

 

<5,誠実さを示す>

 

… 「正直」とは真実を語り、”現実に自分の言葉を合わせる”こと。

「誠実さ」とは、”自分の言葉に現実を合わせる”こと。裏表のない人は信頼されます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

以上、主な6つの預け入れでした。

 

 

そして、この信頼口座の預け入れを、

習慣のようにやり続けます。

 

 

それが、

 

人間関係での成功の上の、

一丁目一番地です。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

<今日のまとめ>

 

・人間関係において、

 最も重要な要素の一つが「信頼」である。

 

・信頼は、銀行口座のようなもので、

 「信頼口座」と例えられる。

 

・相手に対して理解を示す、約束を守る、思いやりを示すなどで

 「信頼口座」は預け入れされ、残高が増える。

 一方、約束を破るなどすると、残高は減る。

 

・信頼口座にたくさんの預け入れがあれば、

 人間関係は良好で、頼みも聞いてくれるが、

 負債を抱えていると、円滑に進まなくなる。

 スピードも遅くなる。

 

・また、信頼口座は自然の状態では

 引き出しのインパクトのほうが強い。

 

・ゆえに、日常の習慣として、

 「信頼口座の預け入れの6つの主な行動」を意識し、

 実行していくことが、人間関係の上でとても重要である。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【『7つの習慣』~「刺激と反応の間」ってなんだ?(第一の習慣)~】

【『7つの習慣』~「刺激と反応の間」ってなんだ?(第一の習慣)~】

 

それでは、どうぞ。

 

■皆さまは、こういった光景、

今まで見たことはありませんでしょうか?

 

例えば、ファミレスなどで

 

「マジ、ありえないよね

 あんな風に言われたらキレて当然だよね」

 

「わかるわかるー」

 

 

というような会話。

 

「腹が立つ事言われた」

=「怒って当然」

という公式が、前提として

あるようにも思えます

 

 

 

■あるいはこんなシーン。

 

 

満員電車で

足を踏まれたか何かで、

ものすごい怒りまくっている

どこぞやのおじさん。

 

人前にもはばからず激高し、

朝から、電車内で怒鳴っている。

 

 

「オイ!お前わざと踏んだだろう!!」

 

 

と、自分の感情を抑えられない、

みたいな場面。

 

(ああ、実にイタいですよね、、、)

 

■そして私は、

この両者に対して言いたい。

 

 

「これこれ、そこのお二方。

 

 まず、7つの習慣の第一の習慣

 『刺激と反応の間』の話を、

 

 一度読んでみてはいかがかね」

 

 

、、、と。

 

 

■さて、今日のテーマですが、

「第一の習慣 主体的である」に

いの一番に書かれている項目。

 

 

【刺激と反応の間】

のお話をお伝えしたいと思います。

 

■さて、突然ですが

皆さまにご質問です。

 

 

「Q,「主体的」の反対語はなんでしょうか?」

 

、、、

 

、、、

 

はい、答えはなんでしょうか?

 

 

「受動的」?

 

普通に考えると、

そうですよね。

 

■ただ、「7つの習慣」において。

 

「主体的」の反対の言葉とは、

 

”『反応的』である“

 

としています。

 

 

■“反応的である“とは何でしょう?

 

それは、

 

『◯◯だから、自分は●●である』

 

という世界観を持つことです。

 

、、、ちょっとわかりづらいですね。

 

例えば、先程の女性の世界観なら

 

「{腹立つことを言われた}から、

 {自分は当然怒った}のである」

 

となりますし、

 

足踏まれて激高おじさんの世界観は

 

「{足を踏まれた}から、

 {自分は当然怒った}のである」

 

となります。

 

実際はどうかわかりませんが、

まあ、当たらずしも遠からずのはず。

 

 

 

■この状態は、

「刺激 即 反応」ともいわれ

 

「刺激と反応の間にスペースがない」

 

状態といえます。

 

 

主体的な状態の逆、

まさしく「反応的な状態」です。

 

されたことに対して(刺激)

ただ感情を発露させているだけ。

 

 

それは、平たく言えば

精神の育っていない、子供のようなもの。

 

・子供がお菓子を買ってもらえない。

・自分の思い通りにならない、

 自分の感情を抑えられない。

・周りにどう思われるか、など関係なく

 感情を爆発させる。そして泣く、叫ぶ。

 

という構造です。

 

 

自分の感情をコントロールできない。

外部の刺激に対して、自分の気持ちを選択できず、

依存的になっています。

 

先の電車の大人げないおじさんも、

気持ちの構造は同じ。

 

「足踏まれたら(刺激)、

 怒って当然でしょ(即反応)」

 

 

これでは、よろしくありません。

 

自分の望むものを手に入れる成功なぞ、

望めるはずもない。

 

 

 

■コヴィー博士は、

「主体的な状態」の1つの定義を、

 

 

『刺激と反応の間に”スペースをあける”』

 

 

ことができていること、と言います。

 

 

これが、第一の条件だ!と。

 

成功に向けての一丁目一番地。

これがなくては何も始まらない。

 

 

つまり、

 

「外部の環境・状況に関わらず、

 ”自分が選択できる”という世界観を持つこと」

 

これがまさに”主体的”である、

というのです。

 

・他の誰かに嫌味を言われて、

 (冒頭の女性よろしく)

 

・あるいは電車で足を踏まれて、

 (満員電車の足踏まれたおじさんよろしく)

 

 

「こんな事されたから、怒って当然」

 

 

というのは、

 

その人が持つ自身の

”選択の自由”を全く使っていない、

むしろその力があることを気づいてさえいない、

 

となるのでしょう。

 

 

 

■ですが、人は、

 

たとえどんな状況でも、

自分の感情の色を決めることができる。

 

■さてでは、どうずれば、

この「刺激と反応の間にスペースを持つ」

ことができるのでしょうか?

 

反応的にならず、

主体的になるためには

どうすればよいのでしょうか?

 

フランクル氏の話は、

流石にちょっとできる気がしない?

 

はい、わかります。わかります。

 

 

そんな時に、コヴィー博士は

 

”『人間だけが持つ4つの力』があると発見した”

 

その4つの力を使えばよい、

と本書で語ります。

 

それが1つのヒントになるかと。

 

 

その4つの力とは以下の通りです。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

1,自覚・・・自分自身を客観的に見つめる能力

 

2,想像・・・現実を超えた状況を頭の中に生み出す能力

 

3,良心・・・善悪を区別し、自分がどうありたいか判断する力

 

4,意志・・・他のさまざまな影響に関係せず、行動する能力

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

です。

 

 

つまり、先程の

「満員電車の足を踏まれた」に

当てはめて”主体的に”考えてみると、

 

 

{足を踏まれた!イラッ!!}(=刺激)

 

 

1,自覚

 

「足を踏まれた、そして周りに人がいる。

 そして、今自分は猛烈に腹がたった。怒鳴りたい自分がいる」

 

2,想像

 

「怒鳴ったら、周りから注目される

 相手と言い合い、ケンカになるかもしれない

 キャリアに影響がでるかも」

 

3,良心

 

「怒り散らすような子供じみた行為は

 本当は良くないと分かっている」

 

4,意志

 

「腹が立っているが、なんとかグッとこらえて、

 相手の目に訴えかけるだけにしよう。

 あるいは、冷静に「足、気をつけてください」と言おう」

 

 

{足、踏んでいますよ(努めて冷静に言う)}(=反応)

 

 

とできます。

 

 

そして、これらは

犬や猿、他の動物は持っていません。

 

 

 

■『刺激と反応の間』。

 

これを自覚して、スペースを開けるのは

精神的な筋力のようなものです。

鍛えることができるのです。

 

確かに、人ですから

腹が立ちます。

 

イラッとすることも、あるでしょう。

 

ただ、上記の「4つの力」に対して

自覚的になって行動することで、

「適切な反応」を少しずつ選べるようになればいいのです。

 

 

 

 

■そして、

 

 

『自分には選択する自由がある』

 

 

という世界に立って初めて、

7つの習慣でこれから語る大切なことも、

”自分が選択してできるようになる”のです。

 

 

だから、第一の習慣の

一番最初に、この

 

 

【刺激と反応の間には、選択の自由がある】

 

 

という話を、コヴィー博士は

語っているのでした

 

 

では、この選択の自由を手に入れ、

あなたは何を選び、どう行動するのか?

 

 

それが「第一の習慣 主体的である」の後半、

 

『影響の輪にフォーカスする』

 

へと続いていきます。

 

 

ということで、本日はここまでとします。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

<今日のまとめ>

 

・「第一の習慣 主体的である」において、

 主体的の反対の言葉は、反応的である、という。

 

・主体的な人は、

 『刺激と反応の間にスペースをあける」ことができ、

 行動を選択をする自由を持っている。

 

・刺激と反応の間にスペースを開けるためには、

 人間だけが持つ4つの力を意識することである。

 

・それは、「自覚」「想像」「良心」「意志」の4つ。

 これらは精神的な筋力のようなもので、鍛えることができる。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ビジネスとスポーツでの成功者の共通点は何か

【ビジネスとスポーツでの成功者の共通点は何か?】

 
その共通点とは、
 
・目標志向
・日々の積み重ね
・周りの助けを得る力
・そして能力・才能
 
 
 
■それが、本日のテーマの、
 
スポーツの世界とビジネスの世界を比較して考えた時、見方によっては、
  
『受験やスポーツ上のキャリアに比べて
 比較的、誰もが勝てるのがビジネス上のキャリア』
 
と思った次第です。あくまでも私の見解です。
 
(競合相手を殴り倒し、業界トップを取る、というビジネスではなく、自分がより良い生き方を実現しようとするビジネス上のキャリアの成功」という意味で、です)
 
■よく言われることですが、
 
「スポーツはゼロサム・ゲーム」 です。
 
受験は誰かが合格すれば、その分誰かが合格できなくなりますし、
スポーツも誰か優勝すれば、誰かは優勝できなくなります。

(まあ、極々当たり前の話ですね)
 
 
学生時代は、スポーツやら受験やら
ゼロサムが基本ルールであるため、どうしても
「勝った負けた」という世界で自分を評価せざるを得なくなります。
 
 
かつ”才能”や、”時間の期限”により
受験やスポーツでは頭角を表せず、
その影響もあり自尊心を失い、自分の才能に悲観する、ということもあるかと。
 


■しかしながら、
 
「社会に出て、より良いキャリアを築く」
 
ことがゴールとなると、ルールが変わります。
 
キャリアのゲームの特徴は大きく3つだと思います。
そしてそれは。ビジネスのルールと違います。
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
<キャリアのゲームの3つのルール>
 
1,自分が好きなフィールドで戦える
 
2,試合のような勝ち負けがない
 (ゼロサムではない。あの人も自分も勝てる)
 
3,基本、時間的なリミットが公式にない
 (寿命などはありますが、長期戦&蓄積型がいける)
 
  (※私の解釈です)  
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
というイメージ。
 
 
 
 
■例えば、キャリアのゲームで、
唯一、目的があるとすると
 
「お金を稼ぐ」
 
ことでしょう。
(ビジネスなので)
 
そして、そのための最もポピュラーな方法は、
「組織に所属して働く」ことかと思います。
 
出来ることも大きく、
社会への影響も大きく、
出世や昇進というルールで勝つことが出来る人は、その道で駆け上がれば良いと思います。
 
 
 
■ただ、もう少し抽象度を高めると、
「お金を稼ぐ」ための多くのその他の手法と
プラットフォームが沢山でてきています。
 
 
基本的に
 
「誰かがお金を払ってでもほしいという価値」
を自分が持っており、
それを伝える伝達手段を
時間を掛けたとしても構築できれば
 
 
” (スポーツや受験のように)  誰かが勝ったからといって、自分が負けると言う構造はない”
 
 
のがキャリアとなります。
 
 
 
■これを難しいか、難しくないか、
という判断は、その人の価値観になりますが、
 
私は、
 
「受験やスポーツの勝ち負けより、
 難易度は低いのではないか」
 
と思うのです。
 
それは、繰り返しますが、
”競技の質”が違うからです。
 
 
先程お伝えした、
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
<キャリアのゲームのルール>
 
1,自分が好きなフィールドで戦えること
 
2,試合のような勝ち負けがないこと
 (ゼロサムではない。あの人も自分も勝てる)
 
3,基本、時間的なリミットが公式にはない
 (寿命などはありますが、長期戦&蓄積型)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
は、その気になって取り組めば、
誰もに勝利のチケットが渡されている競技ではないか、
 
と私は(あくまでも個人的にですが)
思っております。
 
 
 
 
■私は筋トレを趣味として行いますが
 
「キャリアのゲーム」は
この「筋トレ」に似ています。
 
誰かが勝った負けたではなく、
あくまでも自分の中の過去・現在・未来の時間軸の中で、
着実に積み重ねれば伸びていく、
より大きく、カッコよくなれる
そして、サボれば太る。(最近サボり気味)
というのが特徴です。
 
そこに年齢や、敏捷性や、才能の差は、
他のスポーツに比べてあまりありません。
 
そこが非常に魅力的なのです。
 
 
 
■「キャリアのゲーム」も
特にこれから近しいルールになるとも思えます。
 
 
”組織の中で出世する”がメインルールであり、
ここで昇進できなかったら自分の未来は無い、
と言う考えで世の中が回っているとき
課長になるための戦争のような時代は、おわったのかと、、、
 
 
■今回のコロナの動きで

加速している流れは
最近の日経新聞でも掲載された
 
・富士通のジョブ型人事制度への移行
・カルビーの成果主義への移行
 
に代表されるような
 
・ジョブ型・成果主義の流れ
・副業解禁の流れ
・働き方改革
 
などの「個人の価値を問う」流れです。
 
 
そして同時に、
 
・クラウドワークス
・ランサーズ、
・ビザスク
・UVERの運転手
 
などギグワークのプラットフォームの登場の流れ。
 
これも「個人の価値を問う」流れです。
 
 
アメリカでは既に50%になっている
個人事業主という働き方も、
日本でもさほど珍しくなくなってくる時代に
近づいている兆候のように思います。
 
 
 
 
■そしてそれは、
「ある条件を満たした人」にとっては
大いなるチャンスだと思うのです。
 
(特にこのちょっと暑苦しいブログを
 読んでいただいているような方はそう)
 
 
先ほどもお伝えした通り
”キャリアを構築する”とは
 
「誰かがお金を払ってでも欲しいと思う価値を提供する自分になる」
 
がメインルールです。
 
そしてそのために、
今はあらゆる分野が実は開かれています。
綺麗事ではなく、真面目に、
 
1,自分の”強み”を知り
2,自分の”情熱”を知り、
3,世の中の”ニーズ”を知る
 
ことを真剣に探求し続けて、
それが、教育でも、歌でも、
介護でも、保育でも、投資でもどんな分野でも、
 
 
『持続的に蓄積するかのごとく
 自分の時間と労力を真剣に投資し続ける』
 
 
ことを決意すれば、
 
その投資は蓄積していくので、
市場で1位にはなれなくとも、
「自分で食べていく、稼いでいく」ことは
価値として世に提供できるのであろう、
 
と思います。
 
 
 
■そしてそれはみんな、
独立しましょう、とかでなく、
 
「自分がどんな価値を提供できるのか」
(そしてしたいのか)
 
を、全ての社会人が問われている機会が今であると、私は思っております。
 
 
 
■そして、そのことを真剣に考え、
自らを育てようと今思える人こそが
これから必要とされる人材になる、
 
と私は確信しております。
 
 
もちろん、100%そうとも言えない
厳しい業界、環境、制約条件があることは承知ですが、 
それでもなお、今の社会は
 
 
(真剣なる自己探求と、継続的に時間と労力を投資する覚悟があれば) 
「誰もが勝てるゲームの中にいる」
 
 
そう思っているし、そう信じたい、
(そして私自身そう言い聞かせたい)
 
そのように思っている次第です。
 
 
少し極端な意見であることは承知ですが、
希望もある時代だ、ということで
そんなお話をお伝えさせて頂きました。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
 
 
=====================
<ワンガリ・マータイ(ケニアの環境保護活動家/1940-2011)>
 
ただ傍観して、不平を言ってはいけません。
あなたがたは「誰か」が行動を起こすのを待っているのでしょうか。
行動を起こさなければならないのは、まさに、あなたがた自身です。
 
小学生の時、ワンガリマータイの響きが面白くて、ずっと呟いていたなー
ワンガリマータイさん、すいませんでした。行動します。

才能をどうやって見つけるのか?

■TED再生回数2000万超えの
 
「学校教育は創造性を殺してしまっている」
 
のTED史上最多の再生回数のプレゼンテーターであり、
かつ、2013年度の世界の経営思想家トップ50にも選ばれた
教育学を専門とするケン・ロビンソン氏。
 
そんな彼が、
 
「才能をどうやって見つけるのか?」
 
について語った著書がこちらです。
 
 
 
■最初に申し上げますと、
私が読んでみた結論、
 
「才能を見つけるには、
 徹底的な自己探求しかないのだ」
 
というものすごーく広い話である、
と感じました。

 
■思うに誰もが
「自分には何かの才能がある」と信じたいものです。
 
唯一無二の才能が見つかったら、
人生はもっと豊かになるのであろう、
 
そうわざわざ口に出さずとも、
どこかで願っていることではないかとも感じます。
 
しかしながら、
 
自分にはそんな華々しい才能はなさそうだし、、、
と思いつつも、でもなにかあるはず、と思うからこそ、
 
“自分を諦めていない人”ほど、
 
あれこれ考え、時に悩み、
人と会い、本を手に取り、旅をし、
時に、自己分析のテストをやって、
 
”まだ見つけていない何か(=華開いていない才能)”
 
を見つけようと、
もがいていくものではないか、
 
と感じています。

 

■そして、繰り返しますが、
著者は、
 
『才能を見つけようとするプロセスを、
 真剣に向き合っていくことでのみ見つかる』
 
という、当然といえば当然のことを語ります。

 
■例えば、世界で最も受検者数が多い
才能分析ツールの一つである
「ストレングス・ファインダー」だって、
それは一つの視点でしかありません。
 
”これだけやれば完璧”という才能の見つけ方
 
などはないのです。

 
■「じゃあ、この本の価値は何なの?」
という話ですが、
 
この本の良いところは、
「才能を見つけるための網羅的な試行錯誤」を、
アクションリストにしているところかと思います。

 

正直な話、著者のエピソード中心なので、
少し読みづらさ(体系立っている感は少ない)はあるものの
 
著書の中の間にある、
 
『才能を見つけるためのアクション』
 
がなかなか良いのです。
 
これを1つずつやっていくと、
ある一つのタイプ別のテスト等特定の視点にとらわれることなく、
俯瞰して「自分の才能」について
深堀りすることが出来るように思います。

 

■そして著書の中では、
以下のようなアクションリストを、
それぞれ2ページくらいずつに渡って
具体的に紹介をしています。
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
<才能を見つけ・磨くためのアクション>
 
 
1,瞑想をする・・・気が散らず自分の内側に集中できる状況を整える
 
2,「自分の行動」を知る・・・
 1週間の行動を紙に書き出し、可視化する
 
3,「自分」を描く・・・
 複数の雑誌などから自分の感性に響く写真や言葉を切り取り、
 自分の人生のコラージュするものを創る
 
4,「得意なこと」を知る・・・
  生まれつき得意と感じることを書き出す
 
5,「不得意」を検証する
 
6,手を伸ばす・・・
  「もしできるなら試してみたいこと」を書き出す
 
7,「楽しいこと」を知る
 
8,「あなたを夢中にさせること」を考える・・・
  「楽しいこと」の中で特に心から楽しめる、を考える
 
9,「いまの幸せ度」を知る・・・
  幸福から連想する言葉を書き出し、それぞれどれくらい満たせているか考える
 
10、「ウェルビーイング」を高める・・・
  仕事・人間関係・身体・経済・地域社会で高めたい事を考える
 
11,「自分のものの見方」を考える・・・
  タイプ分けテスト結果などを見て、自分に当てはまっているか内省する
 
12,いまいる場所を確かめる・・・
   これまでのエクササイズを統合して
   自分の才能・情熱がなにか、何がこれから出来るかをまとめる
 
13、同族をイメージする・・・
   一緒に才能を高められる仲間を見つける
 
14,最初の一歩を決める
 
15,支援者へ手紙を書く
 
 
※参考:『才能を磨く ~自分の素質の生かし方、殺し方~』より
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
とのこと。
 
いやはや、いっぱいあります。

ですが、これら全てに深く向き合えば
何かが見えてくるのは間違い無いかと、、、


ケン・ロビンソン
「学校教育は創造性を殺してしまっている」
おすすめです。

部下の「あなたのキツい言い方がやる気を削ぐ」から考える

最近の在宅勤務の流れで、
「社内コミュニケーションの難しさ」

という”あるある問題”に向き合っております。
 
今日はコミュニケーションの難しさについて
私自身の体験と経験から、学びと気付きを
皆さまにご共有させていただければと思います。
 
■コミュニケーションとは、実に難しいものです。
 
というのも、
 
"「こうありたい」「こうしているつもり」というコミュニケーションのあり方"
 
と、
 
"実際は「こうしている」というコミュニケーションのあり方”
 
の間に、大きな隔たりがあるからでしょう。

 

■先日金曜日、部下との会話で
気づいた事がありました。

 
「人には意志力など存在しない」
(=緩くなると、とことん緩んでいく)


と思っているので、
在宅勤務でも、ある程度の規律を持たねば!と
ルールを作っております
 
■かつ、今のような在宅勤務だからこそ規律を持ち、
 
月曜日の朝は、
 
「今週の計画/目標についての宣言」
 
をし、そして金曜日は、
「一週間の振り返り」をする。
 
金曜日の振り返りアジェンダは、
 
1,今週の目標/計画の進捗
2,学んだこと、うまくいったこと・その原因、改善・TRYすること
3, 来週の計画
4, その他共有事項・相談事項
 
をエクセルシートに埋めて報告する。
 
などやっております。

そのことについて、部下と雑談してたのですが
「たまに言うきつい一言で、やる気がなくなる事があります」
と私に対しての指摘、、、(結構舐められてる笑)

 
 
■このことを考えながら、
ある話を思い出していました。
 
それは、世界250万部のベストセラーの解説本
『学習する組織 入門』にかかれていたある一節。
 
それは、まさしく人が
 
”「言っていること」と「やっていること」の違い”
 
を繰り返してしまう、分析と解説です。
 
(以下、引用です)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


私たちが頭の中で考える自分自身の目標や価値観や行動の理想は、
きれいにまとまっていても実際の行動はそのとおりになっていないことがしばしばです。
 
たとえば「私は人に親切だ」と言っていながら、
実際のたたずまいが人を寄せ付けない雰囲気だったり、
相談事をもちかけにくい行動や言動をとっていたりしたら、
周囲の人はその人を親切だとは思いません。
 
このとき、私たちが頭の中で信じている価値観や規範のことを「信奉理論」と呼び、
その反対に実際に自分が取っている胎動や行動の規範のことを「使用理論」と呼びます。
 
使用理論は、他の人たちからは簡単に観察することができますが、
自分自身では観察することが極めて難しいものです。
 
とりわけ、自分の信奉理論と使用理論が異なる場合は、
自分の使用理論は盲点に隠れてしまいます。
 
(※引用:小田理一郎.『学習する組織入門』.英知出版,2017,199p)
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
という話。
 
つまり、
”「言っていること」で、
自分がそうだと表面上信じている”つもり”でも、
実際「やっていること」が全然違う、
ということは大いにある”
 
ものであり、
 
”実際は、やっていることのほうが、
 その人の信念を表しているもの”
 
ということ。
 
■そして、実はこれは、大変難しい、
勇気が必要な「挑戦」でもあると思います。
 
それは、「これまでと違う自分を選ぶ勇気が必要だから」、でしょう。
 
実は、上記の話は、
今回わざわざ言われなくとも、
自分でも気が付いていることでした。
 
ただ、これまでの自分が
 
「厳しく追求する・される」
「自分を追い込む」
 
という選択を選び、
そして自分自身で成果を出してきたという“経験”、があったからこそ、
それに頼りたい、それが正解だという『使用理論』の背景があったからです。
 
■ただ、先述の
 
言っていることの『信奉理論』と
やっていることの『使用理論』を、
深く一致させないと相手には伝わらないし、
 
もし一致させる事を願うのであれば、
 
【これまで自分が信じてきたことを手放して、
 新しい旅路、道筋を選択する覚悟と勇気を持つこと】
 
という簡単なようでいて、
勇気がいる挑戦が必要であると感じたのでした。
 
■本当に言行一致で、
人にも伝わるメッセージを伝えるためには、
 
1,自分の「言っていること」と「やっていること」が一致しているか、 
  自分の内側を見つめる勇気を持つ
 
こと、そして
 
2,言っていること(=そうありたい『信奉理論』)に近づけるために、
  これまでの自分のあり方を手放し、行動する勇気
 
が必要、ということになるのでしょう。

 
それは一朝一夕で、
ある瞬間からできるものではないし、
 
自分のプライドや自尊心を手放す、
ある種、自分のスクラップ&ビルドになるかもしれません。
 
繰り返しの内的葛藤と試行錯誤を繰り返し
少しずつ「新たな自分」を手に入れていく
長い旅路ともいえるかもしれません。
 
【あなたのキツい言い方がやる気を削ぎます】

 

という言葉ら考えてみた、の巻でした。
 
皆さまの中にある、
「言っていること」と「やっていること」が一致していないこと、
その背景には、どのような思いがありますでしょうか?
 
考えてみると、一つ、気付きがあろうかと思います

Netflix見てるあなたに伝えたい。

 

「変化の波」は「チャンスの波」。敢えて流されたほうが遠くへいける 
 
最近の大きな変化について感じることがありましたので書き殴ります。笑


 
今は「激変の時代」であること、
皆さまも体感されている昨今かと思います。
 
 
  
■今回のコロナ問題。
 
多くの企業が影響受けており、
そしてそれは今、私がいる輸入業界、食品業界も同じ。
 

 

今、直接会うことが控えられていますが、
では1ヶ月、2ヶ月後になったら急にみんなで飲み会や集まりを開催しましょう。


とは、なかなかいかないでしょう。

 
緊急事態宣言が終わったとしても、
対面では何かしらの不安を抱えている、、、
という心理になるのは想像に難くありません。
(少なくとも今後1年は続きそう、、)
 
 
 
■以下2つのパターンが考えられます。


1つ目は、

 
『「その時」(以前のような社会)が戻ってくるのを待つ』
 
というパターン。
 
別に否定するものではなく
こういったことも大いにあるでしょう。

 

「何か今まで違う」という文脈を携えているにせよ、
その機会(以前のような社会)は戻ってくるでしょう。

急にゼロになることは、
おそらくないと思います。


■一方、2つ目の選択。
 
それは、

 

『「今までとは全く違った未来になる」と想定して動く』
 
というパターン。

たとえ表面的に落ち着いたとしても、
 

「もうあの頃は戻ってこない」

「あのときとは別物である」と

 

「変化の波」を受け入れ、
その波が去ったあとの景色すら想定し、
俯瞰して眺め、動く。

 
そのために、
今来ている波に敢えて流されるかのごとく
これまでとは違うところに行くと決めて、動く、

 
そんな選択肢です。

 
そして、上記いずれかの選択を選ぶかで、
 
・いい感じのお休みの期間になるか(前者)
・仕込みの投資の時間でバリバリ動くか(後者)

 
と大いに違ってくるでしょう。

 
■そして「生存戦略」として、
どちらのほうが有効な選択肢か?
 
といえば、
よく引用される「ダーヴィンの進化論」の言葉

 
『強い者、頭の良い者が生き残るのではない。
 変化するものが生き残るのだ』
 
に代表されるように、やはり
 
”「変化の波」をとらえ「変化した者」”
 
に軍配があがるのでしょう。
 
 
 
■人は基本的に変わりたくない生き物。
 
「変化」というと抵抗感を覚えるものです。
 
しかし、見方を変えると、
「変化の波」というのは「チャンスの波」と
捉えることもできます。
 

目に見えやすい変化として、

オフラインからオンラインへ変化しています。

この時期急速に、変化しています。

 

その中で、

「講師」の仕事で例えるとするならば
 
リアルの場でふんだんな経験を積んできた
超凄腕の研修講師がいたとします。
 
すると、これから講師を始めようとしている人と、
これまでの文脈では、圧倒的な差があります。
 
しかし、こういった「変化の時」は、
それらの経験が「リセットされる場」にもなります。
 
というのも、
 
・”対面”で必要とされる講師のスキル
・”オンライン”で必要とされる講師のスキル
 
を比較した時、やはり求められるものは違ってくるので
「リセット」とまでは言えずとも、
ゲームが変わるため、これまでより
その差は縮めうるものになるでしょう。

 
まさしく、トランプの「大富豪」のゲームにおける
”革命”が起こったようなもの。
 
ゲームのルールが大きく変わるというのが
「変化の時」です。

 
■そんな想定でいると、
 
「変化に抗うか」
「変化に敢えて流されるか」

 
の見方も、少し変わってきそうです。
 
「変化を、一発逆転のチャンス」と捉えるなら、
上記にまつわる「講師」の仕事においても、
 
やったことがなかろうが、
たとえ失敗しようが、
一時的に評価が低かろうが、
 

・オンライン教育のツールを使いまくる
・オンライン研修の場に積極的に飛び込んでいく
・オンラインで学べるコンテンツを打ち立てまくる
 
となるかもしれません。
 
そして、それらを実現しようとすると、
「今は休んでいるどころか、責めまくる時期である」
となり、前のめりで行動を促す時期となるかもしれない。
 
そして繰り返しますが、
それを分かつのは、私たちの「選択」です。

 
■そしてこれは、講師とか、
人材開発の領域だけではありません。
みんな、そう。


全体の大きな流れでは、
「会社に行かずに働く」が1つの選択肢となりました。
 
すると、
自律して生産性を高めることが求められ、
その中でどう成果を出すか、も注目されます。
 
また、経済は止まることで
社員も休業が余儀なくされたり、
 
そしてそれに連鎖して、
副業などの流れが加速したりすれば、
 
『「個」としての価値を生み出す力』
 
が益々一人ひとりに問われてくることも
「起こりうる未来」の一つでしょう。

 
■では、そんな中で
私たちに何ができるのか。
 
(何度も繰り返しますが)
 
それは、
 
【「変化の波」に、抗うか(無視するか)、あるいは
 「変化の波」に、敢えて巻き込まれにいくかの「選択」】。
 
であるわけです。

 
ちなみに、抗おうとしても、
結局、波状攻撃のように変わり続ける中では
流されてしまうのが常です。
 
であるならば、もう「選択」は一択です。
 
 
1,「変化の波」についてアンテナを高く持ち、
 
2,起こりうる未来をリアルに想像して、
 
3,「チャンスの波」と想定してサーフボードで滑り降りるごとく
  「変化の波」に、あえて流されに行く
 
こちらのほうが、
これから5年10年15年と考えた時、
少なくとも私は、効果的な人生戦略だと考えています。

 
【「変化の波」は「チャンスの波」。
 敢えて流されたほうが遠くへいける】。

 
どうぜ流されるなら、
先っぽで流されていきたい、
 
そう思った次第です。
 
Netflix見てるあなた、ヤバイですよ。

 

【テンプレート】言葉の増やし方

「テンプレート」はとても重要です。

なぜなら、全てにおいて、こうやればできるという仕組みを自身の中に持っていれば

あとはそのテンプレートに当てはめて行動するだけだからです。

また、人に伝えるときなどにも言語化するのが容易になります。

 

今回は、言葉の持つ重要性を体験談も交えながら、お伝え致します。

 

タイトルは

 

【言葉の増やし方テンプレート】

 

以下の3つです。

・大多数が共感する表現や言葉をKDP(敬意をもって堂々とぱくる)

・その言葉を用いた話しをアウトプット

・自分の経験や価値観と融合し自分なりにアレンジ

 

 詳しく説明していきましょう。

 

■考えれば考えるほど、思うこと。

 

それは


『「言葉の力」は、絶大なるものである』


ということです。


「言葉の力」を表現する名言として、


「文章を書くことなしには思索を進めることはできません。書くから自分にもわかる」
 岡潔(数学者)

「私の言葉の限界は私の世界の限界だ」


としばしば引用されているのを見ますが、
まさにそのとおり。

 

■人は言葉で定義することで、
その存在を明らかに認知します。


「素数」と言う言葉なくして
「素数」が何なのかイメージすることができないし、

「カツオ」と「マグロ」のそれぞれの言葉を知らなければ、
「ああ、ツナね」とまとめて表現してしまうように
(刺し身に馴染みがない海外の人はそうらしい)、

「かぼちゃ」という言葉を知らなければ
「ああ、あのイモっぽいやつね」となります。


「言葉」があるから、
物事を定義し、世界を広げ、
思索を深めることができるわけです。

 

■そして、今のこの世の中は

「知識労働社会」です。


手や体を動かすだけでなく、

・アイデアや工夫
・仕組み作り
・問いを立てる力

などが求められていますし、
その知識労働のレベルが高いことは、
仕事ができるということに直結すると感じます。

 


そんな「知識労働」の質を高めるコアの部分は、

 

「言葉を扱う力」

であると思います。

 

また、

「言葉を扱う力」

があるからゆえ、他者の思考や感情や行動を動かし、
人を巻き込めるのでしょう。


だから、


『「言葉の力」は、絶大なるものである』


と思いますし、
この扱う力は武器であると思うわけです。

 

■では、この「言葉の力」を高めるためには、
どのようなテンプレートが必要なのでしょうか。


それは、もちろん

本を読んだり
人とたくさん話をしたり、
思考をブログやノートにまとめるなどの

基礎体力作りは当然のことながら必要です。

 

その上に、一つ、
効果的な方法があるならば、

 

【 敬意を持って(K)、堂々と(D)、パクる(P) 】

(=DAIGO風にいうと「KDP」)


というスタンスこそが、
効果的でなかろうかと思うのです。

 

■これは私自身の経験です。

よく講習会などで(食と運動について)
人前で話をして思うのですが、

自分が

「この話はめちゃくちゃいいたとえ話だ!」

とふと思いついて、熱く語っても
その場に刺さる割合は、残念ながら、
5発に1発くらい(汗)

 

実は、

「自分のオリジナルはあまり刺さらない」

と感じているのです。
(ああ、悲しい、、、)

 

■しかしながら、

研修やセミナーで、
そのときの講師が喋って場が動いた

”皆が納得する上手い比喩”

というのは、

その人が経験してきた年月を経て、
そして生き残っている「比喩」なので、
ものすごく洗練されているのです。


例えば、


”今日の研修は、恐らく知っていることもたくさんあるでしょう。

 でも、ぜひ皆さんは、

 『「しっている」から、小さい「っ」を抜く』

 ことをしてもらいたい。

 「知っている」→「している」。
 知識と行動の間には万里の隔たりがあるのです。”


とか、あるいは、

「強み」についての研修で、

”「自分の強みは鼻筋のようなもの」です。

 鼻筋とは相手からはよく見えても、
 自分の目では見ることができません。

 強みは鼻筋のようなものだから、
 お互いに見合って、見つけていくのが今日の研修です”


とか、


”「Why are you a Star?」
(なぜ、あなたは星なのか?)という言葉があります。

 それは、星は出っ張っているところと、引っ込んでいるところがあるから。

 ぜひ皆さんの出っ張りをどんどん伸ばしていきましょう。

 引っ込んでいるところを伸ばしても、
 丸くなるだけです。”


とか、みたいな話は、
元々は他者からの引用ですが、

よく磨かれた表現で「なるほどなぁ」、
と思っていただける可能性が高いのです。

(上記の言葉だけで、
 このニュアンスが伝わっているのかがちょっと不安ですが)

 

力のある言葉は、いつからか、
どこからか語り継がれてきたものかもしれないし、

ある時、誰かが思いつき、生み出し、
そして広がってきたことかもしれません。


それは、商標登録等されていたら別ですが、

「言葉」というものは、
人類共通の資産であり、知恵でもあるし、
誰かからの贈り物、と考えることもできます。

それらを、
その「言葉」を思いついた誰かの
才能と聡明さと努力に対する最大限の


”敬意を持って(K)”


しかしながら、
自分のアイデアなどたかが知れているということで割り切って、


”堂々と(D)”


そして、


”パクる(P)”


という戦略が、

まだ0→1を生み出すに至っていない、
自らの知的能力を高める基礎として、
非常に有用な方法ではなかろうか、

そのように思っております。

 

■そして、その「言葉のストック」を集め、増やし続け、
自分の価値観、感性と融合していくと、

最初はただのパクリでも、
次第にその言葉のつながりが、
オリジナルのものになっていき、その過程で

”「自分のオリジナルの世界」を表現するに至る”

となるのだろう、と思います。

 

【言葉の増やし方テンプレート】まとめ

・大多数が共感する表現や言葉をKDP(敬意をもって徹底的にぱくる)

・その言葉を用いた話しをアウトプット

・自分の経験や価値観と融合し自分なりにアレンジ